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あなたと向き合った日々

今回、奥水介護課長のインタビューを受けてくださったのは、、家族会副会長の上野三雄様です。
ご両親と、伯母様が豊寿園に入所されています。そんな上野様に在宅での介護についてお話をお聞きしました。

インタビュー1

母は私が定年になれば戻ってくると頑張っていたと思います。
平成15年に父に認知症の症状が出て、母が介護をしていました。その母も当時大分の日田にいた私に、「心臓が苦しい、病院に行くので帰ってきて」と電話をかけてきて、有給を取って急いで戻ると炊事をしながら「あんたが戻って来るのを待っとった」と言われ、この時、もしかして母も認知症なのかと感じました。
父は見えないものが見えたり、壁の絵をみては、「あれが襲ってくる」絵だと伝えても納得しない。夜中に起きてトイレでない場所で排泄するので、父が起きると急いでトイレに連れて行かなくてはいけないので夜もゆっくり休めませんでした。それでも母は、私が定年になれば戻って来ると頑張っていたと思います。実際に私が戻ってから、母の状態は急に悪くなり始め、3年後には介護疲れから老人性うつ病を発症しました。この頃の両親は一日寝たきりのような生活でした。まず母を入院させるため、父も一緒に入院させてもらったり、夫婦で病院を転々としていました。
早期退職をするか悩みました
定年まであと少し、早期退職をするか悩んだのもこの頃でした。親戚に父の介護をお願いしたりと家族だけではどうにもならない状況となっていました。平成19年に父が豊寿園のショートステイを利用するようになって、週末に日田から戻り父を豊寿園に迎えに行く生活を始めました。ケアマネさんから介護の仕方など教えてもらって何とか乗り切っていました。
そのおかげで定年まで勤めることができ、日田から家族全員で引き揚げてきて、実家での介護生活が始まりました。

母の方はその頃もまだ病院を転々としていました。自分は癌だと思い込み、腸に癌があるので便が出ない。トイレに行っても「行ってない」と、繰り返しトイレを訴えていました。病院を移る度に、認知症が進んでいる気がしました。

介護で家庭が崩壊しました
一番大変だったのは一緒に介護をしていた妻が介護疲れから精神的に不安定になり、生活が成り立たなくなった時でした。
私自身も脊椎管狭窄症で入院し、介護で家庭が崩壊しました。そのころ父の豊寿園入所の順番が回ってきたときは、本当にほっとしました。

― 平成22年でしたね。それから2年半後お母様も入所になりましたね ―
最後まで夫婦で別々の生活をするのかと思っていたので、今両親が一緒にいられるのは、本当に幸せだと思います。また父の妹も昨年入所となり、顔見知りがそばにいることは本人たちも私たち家族にとっても安心できます。理想的だと思っています。

認知症を理解している人に介護されることがいいと思います
―上野さんにとって介護とは? ―
認知症という病気が理解できない。認知症に対しどう対応していいのかわからない。そのような状況では介護は成り立たない。介護する者が倒れてしまう。家庭が崩壊してしまうと思います。母が入院していた病院から、母の頻回なトイレの訴えに対して「どうかしてください!」と言われたことがあります。それが豊寿園に来て症状が改善しました。認知症を理解している人に介護されることがいいと思います。
介護しているときは、冗談さえも言えなかった。次は何をしなければと常に考えていて全く余裕がない。笑う余裕もないんですよ。今、両親が職員さんと冗談を言って笑っている姿を見て本当に感謝しています。

インタビュー2

利用者様のインタビューは広報誌「豊かな樹」で毎号掲載しています。
広報誌のバックナンバーはこちらから
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